二次小説

永遠のジュリエットvol.40〈キャンディキャンディ二次小説〉

 

レイクウッドからの帰りの汽車は、夕暮れの中を走っていた。窓の外には、柔らかな茜色の光に包まれた草原が流れていく。けれど、その美しさは今のキャンディの心には何ひとつ届かなかった。

膝の上でぎゅっと握りしめた両手が冷たい。さっきから、胸の奥がざわざわと落ち着かず、息をするたびに、何かがひっかかるような感覚が続いていた。

……聞いてしまった。

ただ、それだけのことなのに、それだけで世界の見え方か変わってしまった。アンソニーの薔薇園。スイートキャンディ。そこで偶然耳にしたあの少年と母親の会話。

「ウィリアムと呼ばないといけないんだったわね」

その名前が出た瞬間、キャンディの足は止まっていた。まるで時間だけがそこに置き去りにされたみたいに。

ウィリアム・アルバート・アードレー。

アルバートさんの名前をあんなにも自然に、家族のように呼ぶなんて。

(……どうして?)

問いかけても、答えは返ってこない。

キャンディの耳に残っているのは、母親の穏やかな声と、少年の無邪気な笑い声だけ。

「アルバートは風の向くまま……」

それ以上は聞かなかった。

聞けなかった。

汽車の窓に映る顔は、いつもよりずっと青白く見えた。目の奥が少し痛む。

(アルバートさんに……家族がいるかもしれない)

そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。アルバートさんは、誰よりも誠実で、誰よりも優しくて、キャンディをひとりの人間として大切に扱ってくれた人。アルバートさんに幸せな家族がいたなら喜ぶべきだとわかっている。

それなのに。

(どうしてこんなに苦しいの)

心の奥には、いつだってテリィがいる。いつまでも、消えることはない想い。

それでも……。

アルバートさんはかけがえのない大切な人だった。静かに寄り添ってくれて、何も求めず、ただ支えてくれる存在。

でももし“私の知らない家族”がいるのだとしたら。

キャンディは、そっと目を閉じた。薔薇の香りがまだ鼻の奥に残っている気がする。

シカゴを経由して、レイクウッドからの長い列車の旅が終わり、駅に降りて馬車に乗り込むと20分ほどでポニーの家に着く。

馬車のドアを開けると、ポニーの丘から吹く少し冷たい空気が胸に流れ込んできた。その大好きな空気を吸い込んだ瞬間、キャンディの中で張りつめていた何かが、少しだけ緩んだ。

ポニー先生もレイン先生もすでに自室に引き上げているだろうと、キャンディは持っていた鍵でそっとポニーの家の玄関の扉を開ける。

その時。

「……キャンディ?」

聞き慣れた声にキャンディは、はっと顔を上げた。ぼんやりと浮かぶ居間の明かりの中にいたのはアニーだった。ソファの端に腰をかけ、毛布を膝にかけている。どうやら起きて待っていたらしい。

「お帰りなさい。遅かったのね」

アニーは月に1度くらいの割合でポニーの家に泊まりに来るのだが、それはいつも突然だった。

「……よかった。アニーがいて」

キャンディは力が抜けたように小さく息を吐いた。

「何かあった?キャンディ、顔色が良くないわ」

アニーは心配そうに眉を寄せた。その瞳の優しさが、キャンディの張りつめた糸をほどく。キャンディは微かに笑おうとして失敗した。

「……アニー」

アニーはキャンディの側へ来ると手を取って、ソファに座らせる。そしてキッチンへ行き、湯気のたつマグカップを持って戻ってきた。

「さぁ、キャンディ。ココアよ、温まるわ」

アニーもカップを手に隣に腰をおろす。

「さあ、話して。いったい何があったの?」

キャンディはカップを包み込む。温かいはずなのに指先が冷たくて、自分の身体が遠い。

「レイクウッドに……行ったの」

アニーのまつ毛がぴくりと揺れる。

「アンソニーの薔薇園に……?」

キャンディは頷いた。頷くと胸の中の棘が動く。

「薔薇がね、すごく綺麗だったわ。満開で……昔みたいに。それで……」

言葉が続かない。喉がカラカラに渇く。アニーはカップを持っていない方の手で、キャンディの手をそっと握った。

「……うん。それで?」

そのアニーのうんが優しすぎてキャンディは泣きそうになる。

「男の子が来たの。4歳か5歳くらいの……。金髪で、青い目で……。薔薇の妖精だって、私のことを言ったの」

アニーがふっと微笑む。

「キャンディらしい出会いね」

その笑顔が次の瞬間消えることをキャンディは知っていた。だから早く言わなければならない。

「その子……バートっていうの」

キャンディは紅茶の表面に映る自分の影を見つめた。そこにいるのは自分なのに、自分じゃないみたいだった。

「……その子のママも来たの。ブルネットで小柄で……親しみやすい人だった」

『親しみやすい人だった』ここまではまだ普通の話だ。けれど次の一言で世界は変わる。キャンディは息を吸った。そして吐きながら言った。

「その子がパパの話をしたの。シカゴの大きなお家にいるって。それで……ママがね」

アニーは瞬きもせずに聞いている。キャンディはかすれる声で、どうにか次の言葉を口にした。

「……“アルバートは、風の向くまま気の向くままだから”って」

言った瞬間、部屋の空気が止まった。時計の針の音だけが、やけに大きい。アニーの瞳が大きく見開かれる。

「……アルバート……って?」

キャンディは頷いた。頷くしかなかった。

「……私、聞き間違いだと思いたかった。でもその子はアルバートさんのことを“パパ”って……」

アニーの唇がわずかに震える。

「……まさか」

アニーはしばらく何も言えなかった。ただキャンディの手を握ったまま固くなっている。

キャンディはやっとアニーの顔を見た。

「アニー、私、どうしたらいいの……?」

アニーの目に涙がたまった。そして、小さく息を吸って、震える声で言った。

「……キャンディ。それ……本当なら……アルバートさんは……」

言葉が最後まで続かない。キャンディはぽつりと答えた。

「ええ。……私もそう思ったの」

そして、胸の奥にしまっていた最後の一片をそっと置く。

「……私ね、アルバートさんのこと、ずっと家族だと思ってきたの。大切で、あったかくて……帰れる場所みたいで」

キャンディは笑おうとした。けれど、涙が先に溢れた。

「でもアルバートさんには……もう帰れる場所があったのかもしれない」

アニーはぎゅっとキャンディを抱きしめた。キャンディはその腕の中で、初めて声を漏らして泣いた。薔薇園で落ちなかった涙がこの部屋で、ようやく音を立ててほどけていく。アニーはキャンディを抱きしめたまま、しばらく動かなかった。

キャンディの肩に伝わる体温が微かに震えている。

「……キャンディ」

その声は、いつもより低かった。アニーは唇を噛みしめ、ゆっくりと身体を離した。

「……ひどいわ」

その一言には、怒りも、悔しさも、悲しさも混じっていた。

「アルバートさんがキャンディに何も言わないって……そんな大事なことを」

アニーの拳が膝の上でぎゅっと握られる。

「……でも」

アニーはそこで言葉を止めた。

「もしかしたら、……何か事情があるのかもしれないわ」

少し沈黙が落ちる。

「……ねえ、キャンディ」

アニーは意を決したように言った。

「ちゃんと……アルバートさんに確かめた方がいいわ」

キャンディは驚いてアニーを見た。

「……会って尋ねるべき?」

「ええ」

アニーは力強く頷く。

「キャンディが見たことが真実なのか、それとも途中の1場面なのか」

キャンディは胸に手を当てた。そこでは、不安と恐れとそれでも消えない想いが、絡み合っていた。

(でも、アニーの言うとおりだわ)

尋ねなくては。アルバートさんに。

キャンディは、胸の棘を抜いた後、真っ赤な血がどくどくと流れ出る場面が頭に浮かんだが、それでも尋ねるべきだとわかっていた。

「アニー、アルバートさんに会うわ」

アードレー家本宅のアルバートの部屋は、光に満ちていた。高い天井、磨き込まれた机、壁際の本棚。すべてが整いすぎていて、いつ来てもここは少しだけ、現実から離れた場所のように感じられる。

キャンディは、小さく息を吸った。

「……急に来て、ごめんなさい」

そう言ってから部屋に足を踏み入れる。アルバートは書類から顔を上げ、すぐに立ち上がった。

「いいんだよ、キャンディ。用件はなんだい?」

いつもの柔らかな声。それだけで、胸の奥が少し緩むのをキャンディは感じていた。

(……やっぱり安心する)

それが余計に苦しい。

「キャンディ、顔色が良くないな。何かあったのかい?」

アルバートは自然な感じで尋ねる。キャンディは隠すつもりはなかった。けれど、きり出す勇気が、すぐには出ない。キャンディは、窓辺に差す光から視線を外し、床に落ちた影を見つめた。

「……アンソニーの薔薇園に行ったの」

アルバートは黙って頷く。

「薔薇が満開で……。それで……」

そこから先の言葉が喉につかえる。

(どう言えばいいの?)

「……小さな男の子に会ったの」

キャンディはようやく続けた。

「4歳か、5歳くらいの……」

アルバートの指が、ほんのわずかに止まる。

「その子……バートって言ったの」

名前を出した瞬間、アルバートの瞳が微かに揺れた。それをキャンディは見逃さなかった。

「……お母さんも一緒だったわ。とても感じのいい人だった。優しくて……」

キャンディは、じっとアルバートを見つめる。空気が少しだけ張りつめる。

「それから……」

キャンディが指先をきゅっと握る。

「バートが……“パパ”って」

キャンディはその言葉を口にした瞬間、胸の奥が軋んだ。

「私、聞き間違いだと思いたかった。でも……どうしても、気になって……」

言葉が途切れる。

「……もしかしたらアルバートさんには、別の家族がいるのかもしれないって。そう思ったら、落ち着かなくなったの」

キャンディは唇を噛んだ。アルバートはしばらく何も言わなかった。その沈黙の中で、彼の胸には、想いが幾重にも重なっていた。

(……落ち着かない?それは……キャンディは、僕を失うかもしれないと思ったんだ!)

その事実が、アルバートの胸の奥を温かく、そして痛くした。アルバートはゆっくりと息を吐く。

「……キャンディ」

その声は、いつもより低く、柔らかい。

「正直に言うよ。君がそんなふうに考えてくれたこと」

アルバートは微かに笑った。どこか照れた、けれど、ごまかさない笑み。

「……嬉しかった」

キャンディは、思わず顔を上げる。

「……え?」

「僕に、別の家族がいるかもしれないって、それを心配してくれたんだろう?」

アルバートの胸の内には、確かな感情があった。それは保護者としての安堵ではない。“家族”としての温もりとも、少し違う。

(……失いたくない人として見てくれている)

その事実が、胸を満たしていく。

「君は、何も言わずにいることもできた。でもこうして来て、ちゃんと確かめようとした」

アルバートは、視線を落とし、静かに続ける。

「それは、僕を信じてくれているってこと……そして」

一拍おいて。

「失いたくないと思ってくれた、ということだろう?」

キャンディの胸が、きゅっと締めつけられる。

(……そう。失いたくない)

それは紛れもない本心だった。アルバートさんは、安心できる人。信頼できる人。孤児だった私を、養女として迎え、守ってくれた大切な人。

(でも……)

キャンディは、自分の心の奥をそっと見つめる。

そこには、もうひとりの人がいる。遠くにいて、近づけなくて、それでもどうしても消えない。……テリィ。

(……どちらも本当)

その複雑さを、キャンディ自身も、まだ言葉にできない。アルバートは、口を開こうとした。

「……ちゃんと話そう。レイクウッドで見たことの真相を」

アルバートがそう口にした時、コンコンと控えめなノックの音がする。次の瞬間、扉が開いた。

「アルバート様」

いつもは冷静なクルーズが、顔色を変えて立っている。

「奥さまが……」

アルバートは即座に立ち上がった。

「大おばさまが?」

「ご自室で……突然……倒れられ……」

キャンディの胸が、どくんと鳴る。

「……意識は?」

クルーズがキャンディを見る。

「今のところ、反応は……」

「主治医の先生は?」

「……それが……シモンズ先生はあいにく学会でアトランタに行かれていて……お戻りは明日の予定と伺っております」

「わかった。とにかく先生に連絡を取ってみてくれ」

そう指示して、次に迷わずキャンディを見る。そこには、信頼があった。家族としてではなく、同じ場所に立つ人間としての信頼。

「キャンディも来てくれ」

「ええ」

短く、確かに頷く。さっきまで胸を満たしていた不安は、静かに後ろへ退いていた。今ふたりの前にあるのは、ただひとつ。守るべき命。ふたりにとって大切な大おばさま。キャンディとアルバートは並んで部屋を出た。廊下を進む足音が、重なっていく。言葉はない。

けれど、その沈黙は、迷いの沈黙ではなかった。ふたりが覚悟を共有した沈黙だった。

 

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ABOUT ME
ジゼル
「永遠のジュリエット」は、あのロックスタウンから物語がはじまります。あの時運命が引き裂いたキャンディとテリィ。少女の頃、叶うなら読みたかった物語の続きを、登場人物の心に寄り添い、妄想の翼を広げて紡ぎたいと思っています。皆様へ感謝をこめて♡ ジゼル

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