二次小説

永遠のジュリエットvol.35〈キャンディキャンディ二次小説〉

ニューヨークに到着してすぐ、テリュースが、スザナのいるマーロウ邸よりも先に向かったのは、ブロードウェイのストラスフォード劇団だった。

何よりもまず、団長ロバート・ハサウェイに会う必要があった。

テリュースが抜けた後のスプリングガーデン劇場が現在どうなっているのか、アメリカが”参戦”してからのストラスフォード劇団の動向はどうなのか、詳細を知っておきたかったからだ。それに何よりも、自身の復活に向けて、怪我が完治し万全の状態であると劇団側にアピールしたかった。

───いや、そうではない。ごまかすなテリュース。自分の心を”もうひとりのテリュース”があざ笑う。

本当は。

まず1番に、スザナのところへ帰り、無事な姿を見せるべきだとわかってはいるが、どうしても足が向かなかったのだ。鉛のように重い心──。

ロックスタウンから戻った時、俳優として復活すると誓い、スザナを幸せにするとも覚悟を決めたはずだった。

だが。

予期せずキャンディに再会し、パンドラの箱は開いてしまった。

心の奥底に秘められていた”本当の気持ち”が、残酷なまでにはっきりと晒(さら)されてしまったのだ。目を伏せ、見ないようにしていた自分の心。

もう今さら自分の心に嘘はつけなかった。

スザナのことは決して嫌いではない。彼女の才能も大切に思っている。幸せになって欲しいとも心から願っている。

だが。

それでも違うのだ。決定的に。

キャンディに対する”想い”とは。

すべてを知っていてそう言ったのかはわからないが、リチャードのいう通り、責任と愛とは違う。

テリュースがスザナを選んだのは、責任を感じたからだと今ならわかる。そして、それは、男女の愛、とは違うのだとも。

キャンディといる時に感じる心が軽くなるような解放感、魂が救われるような溢れる幸福感。どうして彼女にだけそれを感じるのか、テリュースにもわからない。

子供の頃から、誰からも愛されない自分に絶望し、ずっと好きになれなかったが、キャンディといる時の自分だけは好きだった。なぜか悪くないと思えた。

そして。

今はキャンディと生きていくと決めたのだから、スザナにきちんと話をするべきだとわかっていた。短い手紙で無事でいることはスザナに伝えたが、それ以外は何も伝えてはいなかった。

ブロードウェイに戻ってきた以上、病気のスザナに残酷な話を切り出さなければならない。

きっと俺は『人でなし』だ。

テリュースは、自分がこれからしようとすることを、そう蔑(さげす)んでいた。

ストラスフォード劇団に顔を出した後、今夜は古巣のボロアパートに泊まり、明日にでもマーロウ邸に戻ろうと考えていた。

それからスザナに伝えなくては。

『別れて欲しい』と。

現在、ストラスフォード劇団の保有している劇場は、ストラスフォード劇場、ニューロイヤルシェイクスピア劇場、スプリングガーデン劇場の3つ。

その中で団長のロバート・ハサウェイが常駐しているのは、劇団の名を冠する『ストラスフォード劇場』の入るビル。

ブロードウェイのほぼ中央に位置し、建物自体が芸術作品のようなそのビルは、客席数1000というブロードウェイでも指折りの大型劇場でもあり、劇場の上階には、劇団事務所や幹部の部屋、レッスン室やリハーサル室、最上階にはVIP専用ラウンジまで備えられていた。

その劇場上階にある団長室に現れたテリュースを見て、ロバートは、おや?と違和感を感じた。

大怪我を負い、生死の境をさ迷ったのだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、どこかテリュースの纏(まと)う雰囲気が以前と違っているのだ。

テリュース・グレアムはこんな男だったか?ロバートはまじまじと上から下までテリュースを見つめる。

「テリュース、大変だったな。よく帰って来てくれた」

自身が有名な俳優でもあり、ストラスフォード劇団の団長、また演出家、経営者としても敏腕な能力を発揮するロバートは、若い頃から人を観察することに長けていた。人の些細な変化にも敏感だった。

「もう身体はいいのか?」

「はい。大丈夫です」

そう答えた後、テリュースは短く、だが的確に、必要なことを付け加える。何度か手紙で近況は伝えていたが、直接言うべきことがあった。

それは、ストラスフォード劇団に迷惑をかけた詫びと戦時下におけるストラスフォード劇団の現状を教えて欲しいということだった。

その言葉を聞きながら、ロバートはこの男に何があったのだろうかと考えていた。

以前ストラスフォード劇団のオーディションを受けに来たテリュースをひとめ見て、ロバートはその溢れる輝きに目を奪われた。

ギリシャ神話の美神であるかのような整った容姿、アメリカ人好みの気品ある物腰と美しいキングスイングリッシュ、魅惑的なバリトン、だが、なぜか”陰(かげ)り”を秘めた静かな佇(たたず)まいは、シェイクスピアを演じるに完璧な男だと一目惚れした。

入団してからはその容姿だけでなく、俳優として類いまれな天性の素質で、観客たちを夢中にさせ、ロバートの期待を少しも裏切らなかった。

そのテリュースが、実は有名女優エレノア・ベーカーの”隠し子”らしいと共同経営者のニックが耳元で囁いた時、ロバートはひどく納得したのを覚えている。

母親譲りの華のある容姿も、俳優としての天賦の才も、どこか寂しげな陰りも、その生い立ちを鑑(かんが)みれば納得できた。

ロバートの知るテリュースは、その眩しい輝きの中に、いつも月の光のような”冷たさ”をたたえていたから。

舞台事故、船の爆破。不運にもつきまとわれている。

しかし、今、目の前にいるテリュースは、春の木漏れ日のような暖かな空気を纏(まと)っているのだ。一体どうしたというのか。

いや、まさか────。見当違いだ。そんなはずはない。ロバートは自分の考えを鼻で笑う。

「なお、戦時下ではあるものの、我がストラスフォード劇団は、いつも通り人々に夢を与えるエンターテイメントを作り上げるべきだと考えている。よって演目に特別な変更はしていない」

今は何よりも舞台に立つテリュースを見たいとロバートは思った。芝居は内面をうつす鏡。目の錯覚かどうか、芝居を見ればわかる。

「ところでテリュース、いつから舞台に戻れる?」

「いつからでも」

さらりと答えるテリュース。

「そうか。それは何よりだ。君も知っての通り、現在当劇場では『リチャード三世』を公演しているが、確か君の初舞台もリチャード三世だったな。役は、『騎士ティレル』だったか」

「はい、そうです」

新人のテリュースが、オーディションで手にした騎士ティレル役。気難しい評論家たちにも高く評価され、一気にテリュースに注目が集まったのをロバートも覚えていた。

「ひとつ尋ねたいのだが、君は”リチャード三世”の台詞を入れて(覚えて)いないか?」

ロバートは、それは無理だろうと自分の問いを嘲笑しながら、その気持ちをおもてに出さず、問いかける。

『リチャード三世』は、シェイクスピア戯曲の中でもハムレットと並ぶ大役。『ティレル役』の新人が、主役の台詞まで覚えているわけがない、そう思いながら。

しかし、ロバートの予想に反して、テリュースは事も無げにこたえる。

「はい。すべて入っています。稽古の時間を1日、いえ半日いただけたら演(や)れます」

その返答に、ロバートは内心の驚きを微塵も見せず、少し考えるように押し黙ってから再び口を開いた。

「そうか。それは何よりだ。実は今しがた連絡が入ったのだが、“リチャード”役のマイク・ロバートが、急性腎炎で急きょ休演することになった。今夜の公演は代役のオリバー・ハワードがつとめてくれるが、医者の見立てでは、復帰に数週間ほどかかるらしい。マイクが戻る間、テリュース、君のリチャード三世を見せてくれないだろうか?」

「もちろんです、ロバート団長」

ストラスフォード劇団では、『オープン・アンド・デッドラン』が基本。オープニングナイトの次の日にクローズされてしまうこともあるが、逆に言えば、チケットが売れ続ける限り公演を続ける。

スプリングガーデン劇場の『マイガール』は、カイル・レイン役が、テリュースから別の俳優になった瞬間、チケットの売り上げは半分以下に落ちてはいるものの、作品自体が若い女性たちから支持をされていて、今だに公演は続いている。長年赤字続きだったスプリングガーデン劇場の久々の大ヒット作品。テリュースが、カイル・レイン役に戻れば、またチケットの売り上げは元に戻るのが容易に想像できた。

だが。

今、ロバートは、”カイル”ではなく、シェークスピア戯曲の中で”生きる”テリュースを見てみたかった。しかも、シェイクスピアの”リチャード三世”は、醜くおぞましい稀代の『悪役』

それを端正な容姿のテリュースがどう演じるのか、興味深い。

「そうか。では詳細は追って知らせる。頼むぞ、テリュース」

ロバートは力強く言う。

“グロスター公爵”、のちの”リチャード三世”と言えば、歴史上、謎に包まれた人物で、役の解釈がかなり自由自在だ。だが逆に言えば、捉え方が難しく、それを演じる俳優の力量が試される。

どんなリチャード三世を見せてくれるのか。

膨らむ期待に、ロバートは機嫌よく付け加えた。

「期待しているぞ、テリュース!」

ロバートの部屋を出たところで、テリュースはちょうど部屋にやってきたアンドリュー・オーウェンと出くわした。

「これはこれはテリュースじゃないか!まさか幽霊じゃないよな?」

アンドリューは、ストラスフォード劇団の若手ホープのひとりで、テリュースよりも8期先輩にあたる。淡い金髪に碧眼の爽やかな容姿、カメレオンと称される変幻自在に役に化ける能力、そして何よりも、ファンに対する甘い声かけ、気さくな振る舞いで、女性たちを熱狂させ、『ブロードウェイの恋人』と呼ばれていた。

今は、ニューロイヤルシェイクスピア劇場の『オセロー』の主演俳優として活躍していた。金髪碧眼の俳優が、ムーア人に!公演が始まる前には、その配役に否定的だった評論家たちも、アンドリューのオセローを目にしてからは、その見事な変身ぶりに手のひらを返した論評を展開していた。

メイクでオセローに化けるだけでなく、妻となった女に、武勇の影で猜疑心を抱く、心を闇に蝕まれた男の内面を見事に演じていた。

「お前、シーナ・センチュリオン号に乗っていたんだって?またも災難に見舞われたなんて、ほんと不運だな」

「……ああ。そうだな」

テリュースはこれまでアンドリューとは、ほとんど話をしたことはなかった。

「そう言えば、お前がいなくなってから『マイガール』は公演中止寸前だそうだぜ。お前が復帰すれば、やっとこれでマイガールが息を吹き返すな」

「・・・・・・」

テリュースは、今しがたロバートから聞いた『リチャード三世』に、との話は口にしなかった。そのテリュースの無言に。

「……もしかして、スプリングガーデン劇場には戻らないのか?」

アンドリューは、鋭くテリュースの瞳をとらえる。

「……いや。まだわからない」

ロバートから言われたのは、代役として1度『リチャード三世』を演(や)って欲しいということだけだった。

出来が悪ければ、きっとすぐに役をおろされる。もし良ければ?芝居に関しては鬼にも蛇にもなるロバートの考えは、テリュースにもわからなかった。

すべては『出来次第』

それだけはわかっている。

「……ひょっとして」

アンドリューは、はっとしたように形の良いアーモンド型の目を見開く。

「マイク・ロバートが休演すると聞いたが、ひょっとしてお前が代役をやるのか?」

「・・・・・・」

「……否定しないと言うことは、そういうことなんだな」

アンドリューは、微かに皮肉な笑みを浮かべた。

「羨ましいぜ。ロバート団長に好かれているやつには、チャンスがたくさんあるんだな。俺には、団長と懇意な知り合いがいないから残念だ」

「……どういう意味だ」

暗にエレノア・ベーカーのことを皮肉っているのがテリュースにはわかった。

「いや、深い意味はないんだ。ただオーディションもなしに、色々な役をもらえるヤツもいるってことだ」

「何が言いたい?」

テリュースは、反射的にトランクを持つ手をぎゅっと握りしめる。

アンドリューは、今の洗練された外見からは想像できないが、田舎の演劇学校出身で、ストラスフォード劇団では、コツコツとアンサンブルの俳優を地道にこなして実力をつけ、主役の座を掴んだ苦労人だ。テリュースの方は彼に他意はないのだが、アンドリューはテリュースのことを良く思っていないのだとその時初めてまともに口をきいて理解したのだった。

「いや。悪かった。それがブロードウェイだってことだ。俺がハイスクールの演劇部員みたいなことを愚痴っちまったな。すまない!せいぜい頑張ってくれ。ずっと現代劇ばかりやっているとシェイクスピアには戻れなくなるからな。じゃ、失礼」

そう言うとアンドリューは、くるりと背を向けて、ロバートの部屋のドアをノックした。

ロバートの返事が聞こえ、アンドリューがドアの向こうに消える。

テリュースはその部屋のドアを見つめながら、ブロードウェイに戻ってきたのだと感じていた。

───みな、ライバルなのだ。

栄光と挫折。光と影。汗と涙。嫉妬と羨望。それらの渦巻くブロードウェイに。

───戻ってきた。この空気こそがショービジネスの世界だ。

テリュースは、今はその美しくもドロドロとした世界が愛おしかった。

───早速アパートに帰って、リチャード三世の台本でも読みなおすか。

テリュースはこのままブロードウェイの街に出てぶらつきながらボロアパートまで歩くことにする。

そのアパートは、ストラスフォード劇場から少し遠い移民が多く住むエリアにあって、入団当時は徒歩で通っていた。役がつくようになってからは、古いフォードを購入し、車で通うようになっていたが、今日はその道を久しぶりに歩きたかった。

そこでテリュースは、また劇団の誰かに会わないように、エレベーターでなく階段を使って1階に降りていく。

ストラスフォード劇場には、正面玄関とは別に、駐車場からそのまま劇場へ入れるVIP専用の出入口や大道具などの搬入もできる大型の出入口などいくつかあるが、今日は裏手の道に面した出入口から外に出ようと廊下を曲がったところで。

廊下の先のホールに、エレベーターの到着を待つ車椅子のスザナとソフィアがいるのに気づいて、テリュースは小さく息を飲んだ。

───スザナ!

無意識に足を止めるテリュース。なぜ、ここに?

まだ心の準備が出来ていない──!

だが、テリュースが気づいたのとほぼ同時に。

「テリィ!!」

「テリュースさん」

スザナとソフィア、ふたりの声が同時に響いた。

次の瞬間。

弾かれたようにスザナが車椅子を操りテリュースのそばにやってくると、トランクを持っていない方のテリュースの手をとり、顔を見上げた。

「あなた……お帰りなさい」

みるみるスザナの瞳に涙が浮かび上がる。

「もう身体は大丈夫なの?」

「……ああ、大丈夫だ。心配をかけてすまなかった」

テリュースは穏やかに答え、次にスザナの後ろに控えめに立っていたソフィアにも声をかけた。

「マイガールを長く不在にしてしまい、色々とご迷惑をおかけしました」

テリュースは、脚本家であるソフィアに礼儀正しく謝罪する。

「いえ、そんな。ご無事で何よりです。みなさん、テリュースさんのことを心配なさ………」

「ねえテリィ、私が自宅にいなかったから劇団まで迎えに来てくれたのでしょう?」

スザナの言葉が、ソフィアの声を遮った。

「ここへ来る途中、パパのオフィスに立ち寄って来たから時間がかかってしまったの。私を探したのではなくて?」

「いや、港から直接ここへ来た。たった今、ロバート団長に挨拶をしてきたところだ」

「あら、それならよかったわ。じゃあ今から家に帰るでしょう?今日は私もあなたと一緒にこのまま帰ることにするわ」

スザナは、後ろに立っているソフィアを振り返って、悪びれた様子もなく告げる。

「ごめんなさい、メイ先生。今日は打ち合わせをキャンセルさせてくださいな」

スザナはその日、自身が書いている戯曲のアドバイスを求めるためにソフィアに時間をつくってもらい、ストラスフォード劇団に来ているのだったが。

「あ、もちろんです。よかったですね、スザナさん。ずっと待っていらっしゃったテリュースさんが戻られて。私、事務所に用事がありますので、ここで失礼します」

ソフィアはそう言って、ふたりに丁寧に頭を下げると、すぐに立ち去っていった。

馬車でマーロウ邸に着くまでは、スザナはずっと今書いている戯曲のことを楽しげにテリュースに話していた。

明るい声、洗練されたドレス、きれいに梳かされた髪、念入りに施した化粧は、かつての“女優スザナ・マーロウ”を彷彿させた。

だが。

屋敷に着き、自分の部屋の長椅子に腰をおろしたスザナを改めて見ると、以前よりずっと痩せて弱々しく、青白く見えた。

「疲れたんじゃないか?」

そう言って、テリュースが膝掛けをかけてやり、向いの椅子に座ろうとすると、自分の隣に腰掛けてくれるようスザナが促した。

屋敷の中は、マーロウ夫人が使用人を連れて外出しているせいか、静まりかえっていて、テリュースは今から話さなければならないことを思って早くなる自分の鼓動が、隣に座るスザナにも伝わるのではないかと思ってしまう。

「いいえ。疲れてはいないわ。あなたが戻っていらしたのですもの」

スザナは、そう言って愛おしげにテリュースを見つめた後視線を落とし、細い指でテリュースの右手の甲に走る傷痕にそっと触れた。

「もうケガは痛まないの?」

「……ああ。もうどこも痛むところはない」

「よかった。よかったわ。テリィ。すごく会いたかったのよ。……すごく」

スザナはそう言ってもう一度、テリュースの瞳をまっすぐに見る。やがてその瞳に影がよぎった。

「でも……。正直に告白するとね、あなたの乗った船が爆破されて行方不明だと連絡をもらった時……、私、心の隅で少しだけホッとしたわ」

罪を告白するように、密やかに紡がれる言葉。

「このまま、あなたがいなくなれば、誰にもあなたを渡さなくてすむんだって思ったの。ひどいでしょう?私って」

そんなことを口にするスザナにテリュースは驚かなかった。それが彼女の正直な気持ちかもしれない、テリュースはそう思った。本人よりもテリュースの心を敏感に感じていたのかもしれなかった。

「私、あなたが、私のことを恋人として愛しているのか、ずっとずっと不安だった。あなたはいつか、私の元を去って行くんじゃないかって」

「……スザナ」

「でも、大丈夫よ、テリィ。今はそんなことを思っていないから」

そう言ってスザナは唇だけ笑みを作って見せた。

「それはね、メイ先生が教えて下さったからなの。『命をかけて愛してくれる女性がいて自分は幸せ者だ』と、メイ先生に言ってくれたのでしょう?あれはスザナさんのことですねって、メイ先生に言われたわ。私、すごく嬉しかった」

スザナの言葉に、テリュースは息が止まりそうになる。

そうだ。そう思わなければと、テリュースは自分に言い聞かせていたのだ。

───スザナを愛さなければ。

───彼女の愛にこたえなければ。

命をかけて愛してくれているのだから、と。

「私、それを聞いてすごく安心したの。テリィは、私の愛を嬉しく思ってくれているんだって」

テリュースの心臓が早鐘を打つ。全身の血液が冷たくなるような感覚に陥る。

「あなたは、私を愛してくれている。そうでしょう?」

スザナの瞳が答えを待っている。

テリュースが『イエス』と答えるのを。

テリュースの喉が、ごくりとつばを飲み込んだ。

───言わなければ!今!ここで。

テリュースは、己れの力をすべて集めて、自分の気持ちをスザナに話そうと口を開いた。

「……俺は、君を大切に思っている。……だが、その気持ちは」

「テリィ!私、もう長く生きられないの!」

場違いなほど甲高い声で、テリュースの言葉を遮って、スザナが叫ぶように言った。絶望、悲しみ、怒りを含んだ声。

その言葉にハッとして声を失うテリュース。

やがて、テリュースを見つめるスザナのハシバミ色の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「半年か、1年か数年か……わからないけれど、私の人生は終わるの」

テリュースはなんと言っていいか、言葉に詰まった。下手な嘘は意味がないとわかっていたし、どこまで知っているのかもわからなかった。

「……スザナ、それはドクターに言われたことなのか?」

「いいえ」

スザナが、小さく震える声で答える。

「……先生から言われたのではないわ。でも病院で、スミス先生とママが私の病気について話しているところを偶然聞いてしまったのよ。でもママは私が知ってしまったことを知らないから、いつもお芝居をしているわ。あなたは重度の貧血だからって」

「……………」

「私の病気、治療法がないのですって。いつまでもあなたと生きていきたかった。でもそれは無理みたい」

テリュースは唇を強く噛んだ。スザナの気持ちを考えると心が萎れていく。

しばらく涙に濡れた瞳でテリュースを見つめていたスザナは、長い睫毛を伏せて目を瞑った。しばらくそうしていた後、何かを吹っ切るようにやがてもう1度ハシバミ色の瞳を大きく開いた。

「あなたは、私の愛を受け止めて喜んでくれている」

スザナは、そこが舞台であるかのように、涙の残る瞳で、テリュースに薄っすら微笑んだ。

「だから私、あなたにずっと側にいて欲しいの。そう望んでいいのよね?そうでしょう?テリィ」

「・・・・・」

「お願いよ、テリィ。私のこと、見捨てないで」

テリュースの心臓がごとりと嫌な音をたてた。

「……ああ。わかっている」

呪詛のようなスザナの言葉が、毒のようにテリュースの身体に染み込んでいく。

「本当ね?ずっとずっといつまでも私の側にいてくれるわよね?」

もし、運命を変えられるとしたら今、この瞬間だとテリュースは頭の隅で思った。

『別れて欲しい』と言わなければ。

───だが。

「……大丈夫だ」

テリュースは自分の声がどこか遠くで聞こえるような気がした。

そして、機械仕掛けの人形のようにぎこちない仕草で、スザナの痩せた肩に手を置いて静かに答えた。

「……心配はいらない」

今でも十分に女優としての面影を残してはいるが、ストラスフォード劇団の新進女優として期待され、華やかなオーラを放っていたスザナの面影はなかった。

───俺に会わなければ。

───俺と『ロミオとジュリエット』の舞台に上がらなければ。

彼女もまた苦しまなくてすんだものを。

───もう抜け出せないのか。

逃れようともがけばもがくほど、底なし沼に足を取られたようにずぶずぶと心も身体も沈んでいく。

「……約束する。ずっと君のそばにいると」

テリュースはゆっくりと口を開いた。

絶望、虚無が内側からテリュースを苛み、蝕んでいく。

「ありがとう、テリィ。愛しているわ。心から。きっと、約束よ」

それでも。

───決して、色褪せることはないキャンディへの想い。

それはキャンディも一緒だとテリュースは信じていた。

恋しければ恋しいほど、悲しくなる。けれど、それは昔の悲しみとは違っていた。“キャンディは俺を愛してくれているのだから”

テリュースは、1度目を閉じた。呼吸を整える。頭の中にキャンディの顔が浮かぶ。

───待っていてくれるよな、キャンディ。

しばらく後、ゆっくりと、ゆっくりと、まぶたを開く。

キャンディの笑った顔が、部屋の空気に淡く溶け、消えていくような気がした。

今は、すべての力を注いで舞台に集中しよう。それ以外のことは考えないでおこうとテリュースは思うのだった。

 

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ABOUT ME
ジゼル
「永遠のジュリエット」は、あのロックスタウンから物語がはじまります。あの時運命が引き裂いたキャンディとテリィ。少女の頃、叶うなら読みたかった物語の続きを、登場人物の心に寄り添い、妄想の翼を広げて紡ぎたいと思っています。皆様へ感謝をこめて♡ ジゼル

POSTED COMMENT

  1. 葉菜 より:

    文章からもうテリィを追い詰めるスザナの圧が凄くて、春の木漏れ日のようだったテリィが瞬殺されてて……
    どうしてこう何度も自分の命を盾に結びつけて離さないのかスザナよ……
    と、女の念の凄さをめっちゃ感じました(T_T)
    でもテリィにはこの小狡さを跳ね除けてほしいんだと皆思ってますよね
    キャンディと一緒になっても、スザナの諦めが悪い限り生霊とか悪霊になってまで付き纏いそうで怖いです〜(;´Д`)

    • ジゼル より:

      葉菜さま

      コメントをありがとうございます!
      むっちゃ嬉しいです。

      私の拙い文章から、テリィに『圧』をかけるスザナを読み取ってくださり、感激です。ありがとうございます。感涙。

      そうだわ~。そうですよね!
      今、葉菜さまのコメントを読んで、むちゃくちゃ『重大なこと』に気づきました!

      そうそう!スザナは怨霊になりそうなタイプ。

      スザナが亡くなった後、テリィの近くに、絶対『出る』に違いないですよね~。怨霊スザナがっ
      ((( ;゚Д゚)))

      このままじゃあ、テリィはキャンディを迎えに行けないわっ。困った。。。(笑)

      それにそもそも、スザナって、生きている間にも『生き霊』になりそうな感じで。。
      怖すぎる。

      どうしたら、スザナが怨霊にならないですむか?が、物語の『鍵』かもしれないですね。成仏しないとキャンディとテリィの恋路を邪魔しそう。。。

      ただ。
      ロックスタウンから戻ってきた時と違って、テリィは今はもう『キャンディがテリィを愛していること』を知ったので、その自信を胸に秘めて、ブロードウェイの俳優として羽ばたくはずです。

      キャンディから深く愛されている事実は、テリィにとって、何よりも『力』になると思うんです。キャンディとテリィの深い愛は、スザナの執念を越えられるはず。

      それから。
      テリィは、リチャード三世では、端役だったし、リア王の時は、ちょい役の?フランス王、ロミオとジュリエットは『こけた』ので、テリィがハムレットでオーラ全開で観客を魅了する姿がみたいと思っています。

      見果てぬ夢です。テリィのハムレットで活躍する姿を見ることは。

  2. よっちゃん より:

    スザナはわかってるでしょ!テリィの心には貴方はいないのよ!でも寂しいんだよね:cry:テリィの苦しみわかってよ!これからどうなるの?キャンディは?気になることばかり!次回もますます楽しみしています:blush:

    • ジゼル より:

      よっちゃんさま♡

      わぁ!こちらのホームページにコメントをありがとうございます!
      すごく嬉しいです。

      もうね、よっちゃんのいう通りだと私も思うんです。

      スザナは、テリィの心がスザナにないことはわかっているけれど、スザナ自身も寂しくて、テリィにすがるしかなくて。。。

      テリィを好きだという気持ちが、どんどん彼女自身を追い詰め、『執着』という怪物になっていると感じます。

      責任感で、そんなスザナから離れることの出来ないテリィ。

      でも、テリィはキャンディから『愛されている』ことを知ったのだから、満たされた心で見違えるような演技をしてくれると信じています。

      次も楽しみにしているとおっしゃっていただき、感謝します。
      よっちゃんにかっこいいと思っていただけるテリィが書けるといいなぁと思っています!

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